双極性障害の科学的根拠について
私は、双極性障害Ⅱ型と診断され、一生薬を飲み続けるようにと言われていました。薬をやめ、冷静になった今、双極性障害について、改めて調べてみました。
双極性障害の科学的根拠
双極性障害の科学的根拠については、複数のサイトで
「科学的根拠は明確ではない」
と、記載されていました。
現在の研究トレンド
双極性障害の神経化学的根拠を説明する広く認められている仮説は、まだありません。同様に、気分安定薬としてのリチウムと抗けいれん薬の使用に伴う作用メカニズムも、その多くは依然として不明です。リチウムが神経終末において脱分極誘起性のカルシウム依存性ドーパミン、ノルエピネフリン放出を阻害することを立証した研究があり、それはまた、セロトニン放出を過渡的に促進している可能性があります。さらに、リチウムはイノシトールモノホスファターゼを阻害してホスファチジルイノシトール経路を妨害しますが、この作用が双極性障害の効能に与える影響は明確ではありません。
それに反し、
「双極性障害に関する明確な科学的根拠」
が記載されているサイトは、どこを探してもありませんでした。
医学論文検索サイトも検索してみました。医療関係者ではないので、タイトルしか見ることはできませんが、「双極性障害」ありきという前提で、「どの薬がどう作用するか」とか、「病識を持たせるにはどうしたらいいか」といった類の論文ばかりで、正直ガッカリでした。
そういった中では、次の雑誌が目に留まりました、
家族機能研究所の雑誌『アディクションと家族29巻4号【特集】「双極性障害」の真実』
いずれにしても、「双極性障害」ありきではなく、はっきりと「双極性障害の科学的根拠」が確立されているなら、正々堂々と公表していただきたい。
双極性障害の診断基準
あるサイトに、双極性障害の診断基準が書いてありましたので、引用します。
3.双極性障害の診断基準でチェックする
Ⅰ.躁病エピソード
ではまずは躁病エピソードの診断基準をみてみましょう。各診断項目を紹介し、説明も加えます。
A.気分が異常かつ持続的に高揚し、開放的または易怒的となる。加えて、異常にかつ持続的に亢進した目標志向性の活動または活力がある。このような普段とは異なる期間が、少なくとも1週間、ほぼ毎日、1日の大半において持続する(入院治療が必要な場合はいかなる期間でもよい)。
躁状態は気分の異常な高揚が認められます。これは「気分高揚」「爽快気分」などと表されます。また怒りっぽくなるという気分の上がり方をすることもあります。短時間の気分の高揚であれば正常な心因反応である可能性もありますが、躁病エピソードではこのような気分が持続的に認められるという事が1週間以上続きます。
B. 気分が障害され、活動または活力が亢進した期間中、以下の症状のうち3つ(またはそれ以上)(気分が易怒性のみの場合は4つ)が有意の差をもつほどに示され、普段の行動とは明らかに異なった変化を象徴している。
(1)自尊心の肥大、または誇大
(2)睡眠欲求の減少(例:3時間眠っただけで十分な休息がとれたと感じる)
(3)普段よりも多弁であるか、しゃべり続けようとする切迫感
(4)観念奔逸、またはいくつもの考えがせめぎ合っているといった主観的な体験
(5)注意散漫(すなわち、注意があまりにも容易に、重要でないまたは関係のない外的刺激によって他に転じる)が報告される、または観察される
(6)目標指向性の活動(社会的、職場または学校内、性的のいずれか)の増加、または精神運動焦燥(すなわち、無意味な非目標指向性の活動)
(7)困った結果につながる可能性が高い活動に熱中すること(例:制御のきかない買いあさり、性的無分別、またはばかけた事業への投資などに専念すること)躁状態でよく認められる症状が出現しているかを確認する項目です。上記の多い症状が3つ以上(易怒性のみの場合は4つ以上)ある場合、この項目を満たすことになります。
C.この気分の障害は、社会的または職業的機能に著しい障害を引き起こしている、あるいは自分自身または他人に害を及ぼすことを防ぐため入院が必要であるほど重篤である。またはまたは精神病性の特徴を伴う。
ただ気分が高くなっているだけで誰も困っていないのであれば問題ありません。躁病エピソードと診断するためには、「本人あるいは周囲の生活に著しい支障が生じている」という事が重要です。
D.本エピソードは、物質(例: 乱用薬物、医薬品、または他の治療)の生理学的作用、または他の医学的疾患によるものではない。
注: 抗うつ治療(例:医薬品、電気けいれん療法)の間に生じた完全な躁病エピソードが、それらの治療により生じる生理学的作用を超えて十分な症候群に達してそれが続く場合は、躁病エピソード、つまり双極Ⅰ型障害の診断とするのがふさわしいとする証拠が存在する。
ここでは、「躁病エピソード」についてのみ引用しました。軽躁病エピソード、抑うつエピソードについても記載されています。
ここに引用した内容をみても、解釈によっていかようにも取れるような、定義があいまいな文言が多くあることがわかると思います。
文言1)『気分が異常かつ持続的に高揚し、開放的または易怒的となる。』
「気分の異常な高揚」とは、どういう状態を指しているのでしょうか?
文言2)『異常にかつ持続的に亢進した目標志向性の活動または活力がある。』
この文言の意味が、何を指しているのか、全く理解不能です。
文言3)『普段の行動とは明らかに異なった変化を象徴している。(1)~(7)』
「普段の行動」に関する定義が、全くあいまいではないでしょうか?
文言4)『躁病エピソードと診断するためには、「本人あるいは周囲の生活に著しい支障が生じている」という事が重要です。』
「生活に支障があるかないか」が、病気の基準であるというのは、科学的といえるのでしょうか?
他にも、疑問点をあげればキリがありません。
是非とも、すべての人が納得できるような、科学的根拠を示して頂きたいと切に願います。(もし、双極性障害という病気が本当に存在するのであれば、ですが。)
最後に
障害の原因に関する科学的根拠が確立されていないにも関わらず、脳や体に作用する化学物質、しかも脳や体にどんな影響を与えるのか、確実に検証されていない化学物質を、安易に投与するのは、危険極まりない行為です。是非ともやめていただきたい。
また、双極性障害だけでなく、他の「精神障害」についても同様に、きっちりと科学的根拠を示していただきたい。
これが、20数年、薬漬けにされて精神に異常をきたし、薬をやめて、やっと人間らしい生活を取り戻した、私の切なる願いです。
『精神障害』が社会に定着しつつあることに不安と怒りを感じます
ニュースで、「障害者と一緒に働くにあたり、障害者とどう接したらいいか」を従業員に知ってもらうための取り組みを紹介していました。今回は『精神障害』について考えを書きました。
『精神障害者』として認定されたい人たちもいる
精神障害者として認定してもらいたいと考えている人は、少なからずいると思います。
「自分は精神障害」「薬がなくては生きていけない」「働くのは不安」さまざまな思いで、認定を受けていると思います。
かつて、私もそうでした。それでもなんとか働きたいと、障害者就労支援事業所に通ったこともあります。
しかし、向精神薬をやめた今、『精神障害』は、社会や精神医療によって作られたものだと確信しています。
「薬がなくては生きていけない」というのは、医者に思い込まさていた、間違った情報だったのです。事実、私は、薬をやめてから、いろいろな意味で、安定した日々を送っています。
『精神障害』について調べてみた
有益な情報を発信するためというよりは、宣伝・集客のため、あるいは、アクセスしてもらうことでお金を稼ぐために存在するネットの世界の中で、私が比較的信頼しているのが、wikipediaです。
wikipediaには、『精神障害』について、以下の記述があります。(文字を太字にしたのは私です)
症状を呈する原因としては、先に甲状腺機能の異常や栄養欠乏、また脳損傷など医学的に生じているとか、医薬品や向精神薬によって薬理学的に生じているといった状態を除外して、それ以外の固有の症状であると仮定される。つまり精神の障害は、髄膜炎、内分泌疾患などの身体疾患によって引き起こされる場合もあるし、単にアルコールやカフェイン、また精神科の薬によって薬物の作用で生じている場合もある。それ以外にストレスによって生じたり、脳の機能的な変調によって生じている可能性もある。決定的な原因は判明しておらず、様々な仮説が検討されている状態である[5]。
従って、精神障害を診断するための合意された生物学的指標(検査)は存在しない[7]。つまりいまだ、診断のための理解という部分から十分に高度というわけではなく、その基礎となる脳の研究の進展を要請している段階である[7]。軽い日常的な出来事が医療化されることに弱く、製薬会社による病気喧伝も加わって患者の数が激増している。金融危機より先に先進国各国で患者数が増加し、薬物治療は人々を復帰させていない[8]。治療法も決定的なものは存在しない。自然に軽快することもある。
『精神障害』について、確立された診断基準は、存在しないのです。
それでも、精神的に追い詰められて、精神科へ通い、薬を飲みながら、なんとか仕事に行き、または、休職・復職を繰り返したり、最後には退職に至る人も多いのではないでしょうか?
どうしてそんな事が起こるのでしょうか?「薬を飲む」ことや「『精神障害者』と認定される」ことで、「こころのつらさ」や「生きづらさ」は解決するのでしょうか?
私の場合は、薬は精神状態や健康状態を、ますます悪化させる原因でした。
『精神障害』から抜け出す人が1人でも多くなってほしい
『精神障害』から脱却し、恐ろしい精神医療の呪縛から解放されるためには、今までの価値観に疑問を持つ事が大切ではないかと考えています。
「上司や同僚、部下が帰らないから帰るわけにはいかない」
「もっともっと頑張らないと評価してもらえない」
「定時で帰るなんて、仕事を舐めてるのか?」
「理想のおかあさんにならないといけない」
「家事育児は女の仕事」
「家族のために我慢して働かなくては」
などなど、私たちは、他にも、もっともっとたくさんのさまざまなプレッシャーに囲まれて生きています。それはほ、とんどが理不尽で、他人本意なものです。自分を殺して生きるのが「常識人」と考えられています。私たちは、自分のためにやりたいことをするのではなく、他人の目を気にするあまり、意に沿わない事ばかりをしていると、だんだんと心が病んでくるのです。
しかし、それは本当に自分にとって、大切なことでなんでしょうか?本当にそうしたいと思ってやっていることなんでしょうか?
自分で自分を追い詰めていることが、『精神障害』『精神疾患』の根本原因だと、私は考えています。
「他人の目を気にしない」
「自分のために生きる」
というのは、言うほど簡単なことではありません。しかし、自分を守るためにはどうしても必要なことなのではないでしょうか?
人に期待されたり頼られたりするのは、とても嬉しいことです。しかし、あくまでも「自分のできる範囲」であるのが前提ではないでしょうか。私は、自分が「常識がない」「変わり者」「偏屈」などと思われて、孤独になることを恐れるより、自分に正直に生きることを選び、『精神障害者』をやめました。
精神医療のまやかしに気付き、世の中から『精神障害者』が、1人でも少なくなることを願っています。
【イラダン問題も解決するかも?!】家族関係をツイッターに置き換えてみたら意外と面白かった
最近、某ラジオ局で「イライラするダンナ=イラダン」という企画をやっていて、好評らしい。それを聞いて、家族関係をツイッターに置き換えみたら面白かったので書いてみた。
ツイッターにおける私のスタンス
まず、フォローしたい人を探す。ほとんどは偶然の出会いが多い。
見つけたら、プロフィールを見たり、ツイートを少し読んだりして、気に入ったらフォローする。
タイムラインは、ガッツリみる人もいるだろうが、私は基本、気が向いた時に少しだけ読む。
時々に、自分が感じたり考えた事をツイートする。
ツイートは、見てくれるなら見てくれてもいいし、興味がなければ、スルーでいい。気に入ってくれた人からは「いいね」してもらえる。時たま、お返事をくださるフォロワーさんがいるので、お返事に「いいね」したり、返信したりする。
フォローはしてみたものの、「なんか…、なんかな〜…」(「べっぴんさん」のすみれみたい笑)と、感じる時は、フォロー外したり、ムカつくとブロックしたりする。
基本、こんな感じ。
家族関係をツイッターで考えてみると
夫は、好きになって結婚したわけだから、「フォロー」してる人。しかし、必ずしもフォロワーではない場合もある。あるいは、フォロワーであっても「常に」あるいは「熱心に」共感してくれるフォロワーであることは少ない。
さて、子どもはというと、欲しくて産んだものの、積極的にフォローしたい対象であるとは限らない。自力で生きていけない年齢の場合、産んだ責任があるので、もちろん面倒はみる。ある意味、フォロワーにならざるを得ないので、フォローしている。
厄介なのは、「いいね」や「お返事」を強要される事。これは、対夫についても同じだが、共感できないことに「いいね」するのは非常に苦痛を伴う。ましてや「お返事」など、したくもない時も多々あるのだか、「母親」とか「妻」という立場上、いやでもせざるを得ないのが辛いところ。
夫なら「ブロック」も可能だが、それも非常にエネルギーがいるし、苦痛が伴う。一大事業だ。
子供となると「ブロック」もできず、悶々とする。本当は「ブロック」したいのに、親であるがゆえに、そんな気持ちを持つことに罪悪感を感じるし、「ブロック」したい気持ちを抑え込むから、どんどん自分を追い詰めてしまう。
これは自分の「親」に対しても、同じことが言える。
私の場合、親はほとんど「ブロック」状態だが、本人には通知は行かない。これはツイッターも同じだが。
親は、自分の子供が、自分の「熱心なフォロワー」だと信じている(あるいは、強要さえする)が、少なくとも私は違う。(これには、いろいろわけがあるのだが、ここでは割愛する)
たいがいの人は、「そんなのはおかしい」「親に感謝も愛情もないなんて、人として・・・」と感じるだろう。それも確かに「正論」ではある。
しかし、よく考えると、親もこれまた、自分から積極的に「フォロー」した存在ではない。よく分からぬまま、その人のところへ生まれてきただけだ。
育てたのも、産んだ責任があるからだ。もっとも、そんな責任も感じず、産み落としてすぐに公園に捨てたりする事件も耳にするから、育ててもらったのは、ありがたいのかも知れないが。
要するに、言いたいことは、「母」とか「妻」とか「子供」とかいう「枠」に縛られて、「フォロー」もしてない相手に深い関わりや共感を求められるのは、私としては、とても苦痛なのだ。
自分でもよくわからずに、イライラしたり、気持ちが辛い時は、少し冷静な、ある意味、突き放した視線で物事を見てみると、楽になれるような気がする。
家族であっても、時々は、心の中で「フォロー」を外してみたらどうだろうか?それだけでも「イラダン」問題は、多少は解決すると思う。
ベンゾ減薬 経過記録 その2
減薬第1段階も、そろそろ4週間が経とうとしています。今後のための、日課や心構えなどについての記録です。いかにも分かった風なことを書いていますが、自分自身の所信表明でもあります。
服用量
[減薬前]
ベンザリン 2mg 2錠
ハルシオン 0.125mg 2錠
[減薬後]
ベンザリン 2mg 1錠+15/16錠
ハルシオン 0.125mg 2錠
日課を決めたきっかけ
まず、日課を決めようと考えました。
8月の初めから、9月の終わりころまで、ほとんど1日中布団の中に居ました。頭の中は、医者や精神医療、あるいは家族への恨みつらみや怒りでいっぱい。寝てばかりいるので、頭痛・肩こりもひどく、何もする気になりません。
このままではダメだと強く感じました。日課を決め、生活リズムを整えることで、こころも体も整っていくのではないかと考えたのです。
余談ですが、イチローさんが「ルーティン」を大事にしているという情報にも影響を受けました。(あくまでも参考です。近頃の「WELQ」事件は、いい教訓です。情報をお金儲けの道具にしている場合が多いですから・・。)
日課
1.朝
[起床]大体の時間は決めていますが、前日の状況やその日の体調によって変わります。
[布団の中で伸び]「あ~、よく寝た!起きよう!」気持ちを切り替えるためです。
[トイレに行く]
[コーヒーを淹れる]
[テレビをつける]
[着替える]それまでは、1日中パジャマでしたが、パジャマだと気持ちがしゃっきりしませんね。
[布団をたたむ]「もう寝ないぞ!」と、決意するためです。
[コーヒーを飲みながら、朝の気分を記録]体調を把握するためです。
[ウォーキング]頭痛・肩こりの解消と、気分のリフレッシュのためです。
[頭痛・肩こり対策のストレッチ]頭痛・肩こりの解消と予防のためです。
[化粧(出勤日のみ)]
[朝食&テレビ]
2.日中
[家事や好きな事 または 出勤]
3.夜
[夕食]
[入浴]
[日記]今日一日の体調の記録のためと、明日を迎えるために、今日一日の出来事+感情を吐き出して忘れるためです。
[頭痛・肩こり対策のストレッチ]頭痛・肩こりの解消と予防のためです
[瞑想]NHK「ためしてガッテン」で紹介されていたので、取り入れています。最初は難しかったですが、続けているといい感じです。言葉では表現しにくいですが、個人的には好きです。
[薬を飲む]
[明日の予定や、やりたいことを書く]気持ちを明日に切り替える「儀式」です。
[就寝]特別なことがない限り、22時に決めています。
減断薬をする際の心構え
[焦らない]ベンゾ断薬は長い道のりです。焦らず、じっくり取り組む覚悟を持ちましょう。
[悲観的にならない]必ず「ベンゾ断薬を成功させる」と、「決める」事が大事です。自分で決断し、行動し、責任を持つ覚悟が必要です。
[過去を引きずらない]過去は過ぎてしまったのです。どんなに後悔しても、どうにもなりません。考える時間がもったいないと思いませんか?
[先の事を心配しない]明日死ぬかもしれません。事実、思いもかけない事故や犯罪で毎日多くの人が亡くなっています。明日は我が身です。今日、そして、今を大切にしましょう。
[無理な計画を立てない]少し調子がいいと「もう少し減らしてもいいかも」と思いがちですが、じっくり取り組むことが大事です。
[他人に振り回されない]「そんな事言うなんて悲しい」と思われるかもしれませんが、「自分以外は他人」です。家族であってもベンゾ断薬の苦しみはわからないのです。
[ストレスをうまくスルーする]これは、難しいですが、「まとめ」に少し考えを書きました。
[身体・こころと対話する]辛いと感じたら、無理はしないで、休みましょう。ストレスは拒否しましょう。ベンゾ減断薬にストレスは厳禁。テキメンに症状に現れます。
まとめ
ここまでたどりつけたのは、ロナセン・リーマスをスッパリやめたおかげだと思っています。
油断すると、症状が悪化し、寝込むこともありますが、体調に合わせて過ごすこと、体調悪化の原因を取り除くことが大事だと思います。
好むと好まざるに関わらず、日々、ストレスがかかり、感情は動きます。
傷付いた自分を否定して、怒りや悲しみを感じている自分を責めたり、「傷ついてなんかいない」と思ったりせず、まず、しっかりと怒りや悲しみを感じ、確認しましょう。紙に書き出すのも、いい方法かもしれません。
そのあと、どうして傷ついたのか、事実を確認し、改善策を考えましょう。
弱い人ほど、相手の感情に訴え、責めたり、ある意味暴力的な「正しい」意見を言って、相手を自分の思い通りにしようとするのです。
イヤなことはイヤ、できないことはできないと、ハッキリ主張しないと、自分がつぶれてしまいます。
家族は、他人よりも厄介です。愛情という仮面をかぶった依存心で、ストレスをかけてきます。本人も気が付いていない場合が多く、悪意もない(と、本人は思っている)ので、余計に厄介なのです。
誰でも、自分が気が付かないうちに人を傷つけていると、自覚(自戒)しなければいけないと思います。
次のステップに進む、自分へのプレゼントとして、この記事を書きました。
減薬・断薬へのステップへ、少しでも参考になればと思っています。
『断薬カウンセリング』発見!しかし、ホームページを見てビックリ!!
『断薬カウンセリング』があると知り、参考までにとホームページを見てみたところ、「向精神薬で苦しんでいる人を救いたい」という私の思いとはかけ離れていました。
まず、驚いたのは、価格です。
単発の電話カウンセリングが、1時間1万円・・・。え~~~。
断薬は何年もかかるというのに、1時間で何ができるというのでしょう???
もちろん、価格自体をどう思うかは、カウンセリングを受けようとする人の価値観ですから、私がどうこう言う問題ではありませんが・・・。
カウンセラーの方は、向精神薬の断薬経験のある方で、カウンセリングに関する資格も5つ持っているようです。(その資格がどの程度信頼できるものなのかは不明です。)
それにしてもこの価格設定の根拠は何なのでしょうか?
自分が苦しんだ分、1人でも助けられたらと考えていた私にとっては信じられない価格です。ボランティアでもいいと考えていた私が甘いのでしょうか?(今はそうは思っていませんが・・)
フェイスブックの投稿を見たところ、某「キチガイ医」さんの関連の方の様です。
(狂信者?取り巻き?支援者?詳しい事情は知りません)
しかし、それにしても・・・。
おそらく、断薬経験に裏打ちされた素晴らしいカウンセリングをされるのでしょうが、向精神薬被害で苦しんでいる人を食い物にするひどい商売にしか思えません。
人として当たり前の悩みを持っていた普通の人が、『製薬会社』や『精神医療』のカモにされて『搾取』され、何年も苦しんだ結果、「向精神薬をやめたい」と思ったら、『断薬商法』に『搾取』される。こんな悲惨なことはありません。本当に怒りしかありません。
「キチガイ医」さんやその関連の方は、そういう活動をしているんだなーと、やっぱり、関わらなくてよかったと、本当に感じました。
まだ、減薬途中ですが、これからも、自力で頑張ろうと、改めて決心する私です。
陽 信孝著『八重子のハミング』を読んで
11月8日に、NHK「おはよう日本」で『八重子のハミング』という映画が紹介されました。
『八重子のハミング』は、アルツハイマー病になった妻と、介護した夫の12年に及ぶ日々を「実話」を元に描いた作品です。
早速、図書館で本を借りて読みました。
日々、病気の症状が進行していく妻「八重子」の姿に戸惑いながらも、辛抱強く、優しく、愛情深く介護を続ける陽信孝(みなみ・のぶたか)氏と家族の姿に、本当に感動しました。
陽信孝氏は、講演活動をしています。本には詳しくは書いてありませんでしたが、アルツハイマー病とその介護についての講演会だと思います。講演会には、八重子さんを同伴していました。講演中に徘徊したり、時には歌いだしたりする姿を隠すことなく見せることで、アルツハイマー病やその介護について、多くの人達に理解を、また、同じように介護で苦しんでいる人達の勇気にもなっているのではないかと感じました。
本の中には、日々の「介護」という戦いについて、丁寧に描写されています。
私は、介護の経験はないので、本を読んで想像することしかできませんが、他人ごとではないと思いました。
今回、佐々部清監督が映画化されました。2017年には東京での公開も予定されているそうです。
私は、陽氏が講演をすることによって、少しでもアルツハイマー病への理解を広めていこうという活動に、とても共感します。
そして、自分の事に置き換えて考えています。
それは、「向精神薬」による被害を社会に理解してもらうことができないかという事です。今、「向精神薬」によって、健康を害し、人生を狂わせてしまった人が大勢います。発達障害、ADHD,その他様々な病名をつけて、幼い子供までが被害者です。
「うつ病は、こころの風邪」と、製薬会社がキャンペーンを開始して以来、精神科への誘導と安易な投薬で、人間として当たり前の悩みを持っていただけの「普通」の人が、「精神病」になってしまう恐ろしさ・・・。
その恐ろしさを身をもって体験した私が、何かできないだろうか。
私は、これ以上精神医療による被害者を出さないために、何かできるのではないかと、『八重子のハミング』を読んで、改めて強く思いました。
まだまだ、いろいろな準備が必要だと思いますが、近い将来、そういう活動ができればと考えています。1人でも精神医療業界の被害に合う人が減るような社会が実現できればと思っています。