ベンゾジアゼピン断薬への道のり

ベンゾジアゼピンの薬害や減薬・断薬のプロセスの中で思ったこと、性別役割分業意識とうつ病発症の関係について綴ります。

うつ病が治った話 ― 発病編

2人目の子どもが産まれて半年後、全く体が動かなくなりました。それでも無理して赤ちゃんの世話を続けているうちに精神的に追い込まれ、 上に子にイライラをぶつけるようになり病院へ行きました

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25年前、2人目の子どもが産まれました。子育ては大変でしたが、二人ともかわいくて、幸せいっぱいでした。しかし、母親である私に、少しずつ異変が起き始めていました。

 

2人目の子どもが産まれて半年後、全く体が動かなくなりました。鉛のように体が重く、起き上がりたくても、起き上がることができませんでした。それでも当時3歳だった上の子と産まれて半年の赤ちゃんを放っておくわけにはいきません。

 

無理して赤ちゃんの世話を続けているうちに精神的に追い込まれ、 上に子にイライラをぶつけるようになりました。大きな声で怒鳴ったり、手をあげたり、子どもと一緒に大泣きしたり、そんな毎日。
「このままでは子どもも私も不幸になる」
どこか相談できるところはないか、必死に探しました。そして、市の精神保健相談に行ったところ、「うつ病ですね」と言われました。

 

当時は、製薬会社の「うつ病はこころの風邪」キャンペーンより前で、うつ病はあまり知られていませんでした。今でもうつ病患者さんのご家族の方からは「どう接していいのかわかららない」という声を聞きますが、当時はどんな病気なのかもわからず、病院に行って薬をもらうだけで良くなるだろうというくらいにしか考えてもらえませんでした。

 

今思えば、家事も育児も、全部誰かに代わってもらって、ストレスも不安もプレッシャーもない状況でゆっくり休むことができれば、病院にいくことさえも必要なかったと思います。

 

当時は、そんなことには気がつかず、病院に行って薬をもらい、誰からのサポートもないまま家事育児を続けていました。もちろん、そんな状況で病気が良くなるわけもなく、どんどん薬は増えつづけ、多剤大量処方の犠牲になってしまいました。薬の知識も全くありませんでしたので、何を飲まされていたのか覚えていませんが、もちろん、ベンゾジアゼピン系薬剤(睡眠導入剤)も出されていたことでしょう。

 

今思えば、本当に恐ろしい話です。

 

うつ病は薬では治らないことにやっと気が付いた時には、ベンゾジアゼピン依存になっていました。本当に残酷な話ですが、少しでも、同じような状況で苦しんでいる方のお役に立てたらという思いで、コミュニティサイトを作りました。

 

どうぞご利用ください

 

次回は、転院や入院のことなどを書きたいと思っています。

 

自己紹介

精神科通院歴23年。現在も通院中です。第2子出産後にうつ病を発症。薬を飲んでもうつ病は全く改善されず、考えられない程の大量処方で人格崩壊。双極性障害Ⅱ型にされました。
精神科医を信じて、一生薬を飲むつもりでしたが、ある人に「薬は飲まなくていい」と言われ、調べ始めたのがキッカケで、精神医療の闇に気付きました。
現在は、ベンゾジアゼピンのみ服薬中。7年後の断薬を目指して減薬中です。

こころの病をささえるコミュニティサイト「ここでいっしょに」を制作しました。
長い間、向精神薬を服用し続け、精神医療や精神科の医師に疑問や不満を持ち、薬の服用を不安に感じている方々のための情報交換の場となればと思い、制作しました。ご活用いただけたら幸いです。

www.koko-issho.com

当ブログは、ベンゾジアゼピン減薬・断薬の経過記録です。
※情報が正しいという保証はありません。
※減薬・断薬の経過は個人的なものです。

[記:2018年12月7日]