【イラダン問題も解決するかも?!】家族関係をツイッターに置き換えてみたら意外と面白かった
最近、某ラジオ局で「イライラするダンナ=イラダン」という企画をやっていて、好評らしい。それを聞いて、家族関係をツイッターに置き換えみたら面白かったので書いてみた。
ツイッターにおける私のスタンス
まず、フォローしたい人を探す。ほとんどは偶然の出会いが多い。
見つけたら、プロフィールを見たり、ツイートを少し読んだりして、気に入ったらフォローする。
タイムラインは、ガッツリみる人もいるだろうが、私は基本、気が向いた時に少しだけ読む。
時々に、自分が感じたり考えた事をツイートする。
ツイートは、見てくれるなら見てくれてもいいし、興味がなければ、スルーでいい。気に入ってくれた人からは「いいね」してもらえる。時たま、お返事をくださるフォロワーさんがいるので、お返事に「いいね」したり、返信したりする。
フォローはしてみたものの、「なんか…、なんかな〜…」(「べっぴんさん」のすみれみたい笑)と、感じる時は、フォロー外したり、ムカつくとブロックしたりする。
基本、こんな感じ。
家族関係をツイッターで考えてみると
夫は、好きになって結婚したわけだから、「フォロー」してる人。しかし、必ずしもフォロワーではない場合もある。あるいは、フォロワーであっても「常に」あるいは「熱心に」共感してくれるフォロワーであることは少ない。
さて、子どもはというと、欲しくて産んだものの、積極的にフォローしたい対象であるとは限らない。自力で生きていけない年齢の場合、産んだ責任があるので、もちろん面倒はみる。ある意味、フォロワーにならざるを得ないので、フォローしている。
厄介なのは、「いいね」や「お返事」を強要される事。これは、対夫についても同じだが、共感できないことに「いいね」するのは非常に苦痛を伴う。ましてや「お返事」など、したくもない時も多々あるのだか、「母親」とか「妻」という立場上、いやでもせざるを得ないのが辛いところ。
夫なら「ブロック」も可能だが、それも非常にエネルギーがいるし、苦痛が伴う。一大事業だ。
子供となると「ブロック」もできず、悶々とする。本当は「ブロック」したいのに、親であるがゆえに、そんな気持ちを持つことに罪悪感を感じるし、「ブロック」したい気持ちを抑え込むから、どんどん自分を追い詰めてしまう。
これは自分の「親」に対しても、同じことが言える。
私の場合、親はほとんど「ブロック」状態だが、本人には通知は行かない。これはツイッターも同じだが。
親は、自分の子供が、自分の「熱心なフォロワー」だと信じている(あるいは、強要さえする)が、少なくとも私は違う。(これには、いろいろわけがあるのだが、ここでは割愛する)
たいがいの人は、「そんなのはおかしい」「親に感謝も愛情もないなんて、人として・・・」と感じるだろう。それも確かに「正論」ではある。
しかし、よく考えると、親もこれまた、自分から積極的に「フォロー」した存在ではない。よく分からぬまま、その人のところへ生まれてきただけだ。
育てたのも、産んだ責任があるからだ。もっとも、そんな責任も感じず、産み落としてすぐに公園に捨てたりする事件も耳にするから、育ててもらったのは、ありがたいのかも知れないが。
要するに、言いたいことは、「母」とか「妻」とか「子供」とかいう「枠」に縛られて、「フォロー」もしてない相手に深い関わりや共感を求められるのは、私としては、とても苦痛なのだ。
自分でもよくわからずに、イライラしたり、気持ちが辛い時は、少し冷静な、ある意味、突き放した視線で物事を見てみると、楽になれるような気がする。
家族であっても、時々は、心の中で「フォロー」を外してみたらどうだろうか?それだけでも「イラダン」問題は、多少は解決すると思う。