ベンゾジアゼピン断薬への道のり

ベンゾジアゼピンの薬害や減薬・断薬のプロセスの中で思ったこと、性別役割分業意識とうつ病発症の関係について綴ります。

毎日生きているのがつらくて疲れてしまいました

ベンゾジアゼピン減薬中の、でんこです。

 

なんだか、いろいろと疲れてしまいました。

毎日続く、つらいベンゾ離脱症状

義父の危篤。

会社の人間関係。

『毒親』との関係に気付いたこと。

家族との関係。

 

毎日毎日、様々なストレスが襲ってきます。なんでも適当にやり過ごしていければいいのですが、なかなかそうはいきませんよね。

 

何もかもが、重く心にのしかかってきます。全て投げ出してしまいたい衝動に駆られます。

 

ちょっとした些細な事が心に刺さります。何をしても自分が責められているような気がして、恐怖を感じます。

 

ついイライラして、毒を吐いてしまいそうになるのを抑えるのに必死で、身も心も疲弊し切っています。

 

今は、他人に変わってもらおうとかいう気持ちはありません。ただただ、自分の心を守るので精一杯です。ストレスや自分を追い詰めようとする人達から離れるしかありません。自ら毒を吐けば、それがストレスとなって、自分に返ってきます。

 

ここまで書いてきて、自分を追い詰めているのは、他の誰でもなく、自分自身なのではないかと、思います。『こうあるべき』という考えが強すぎるんだと思います。

 

『こうあるべき』に囚われることによって、他人を責めたり、自分を責めたりして、自らを生きづらくしているのだと思います。

 

子供のころ、親から『こうあるべき』という価値観を押し付けられ、少しでも外れたことをすると、ひどく責められました。その事がトラウマになっているのだと考えるようになりました。

 

常に、親から責められるのを恐れて生きてきました。だから、自分は何をしても、責められる事にしか思いが及びません。そして、どうやって言い訳をしようかと頭の中がいっぱいです。

 

しかし、大人になった今は、現実には責められる事はなく、考えていた言い訳も言わなければならない場面は訪れません。でも、言い訳を考えることを止める事ができないのです。本当に毎日つらいです。

 

数十年の人生のほとんどを、そんな不毛で無駄な思いで過ごしてきたかと思うと、とても悲しいし、そんな風にしか育ててもらえなかったことを、とても悔しく思います。

 

子どもは親に逆らうことは許されません。少なくとも私の親はそういう考えの人でした。だから、頑なに心を閉ざして、親の怒りがおさまるのを黙って待つしかありませんでした。当時の思いが、大人になった今も、心を支配し、親への恐怖や嫌悪が、他人への恐怖や嫌悪へと広がってしまいました。

 

早く、親からの支配から解き放たれたい。心の自由を取り戻し、幸せな自分の人生を生きたいです。

 

ベンゾジアゼピン減薬とは、少し話が違ってきてしまいましたが、今後、薬なしで生きていくためには、必要なプロセスなのかもしれません。